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髪を切りに行ったときの話

2013年6月19日水曜日

こんにちは!はんなです☆
先日、髪を切りに行きました。「変にならなきゃ何でもいい」な性格なので美容室を選ぶときは「価格の安さ」で選んでいます。この日にも、カット・シャンプー(1回)込みで3000円弱というとってもリーズナブルな美容室に足を運びました。

イメチェンしたかった


そのとき担当してくれたのは若いお兄さん。夏に向けてちょっとスッキリしたいな、という気分だったのでばっさりカットして、ボブにしたい!と思いました。そのときの言葉はよく覚えていませんが「ヘルメットみたいな感じでお願いします」とオーダーした気がします。ヘルメットっぽいジェスチャー付きで。すると、お兄さんから返ってきた言葉は

なるほど、夏に向けてイメチェンという感じですね。ただ、あなたの髪質はとてもストレートなのでこのままでは野暮ったくなると思います。それに、ここまで長く伸ばされているのなら(切ったあとで)絶対後悔しますよ。

でした。そのときの私はともかく「切りたい!」の一心でしたが、このお兄さんの言葉に「確かに!」と思ったのと(乗せられやすい)個人的にチビ童顔なので、ちびまる子ちゃん化しちゃうのを恐れたこともあり「じゃあ梳くくらいでお願いします('-'*)」と変更しました。

実際、梳いて貰ったことでシャンプーの量は減りましたし、かといってバッサリ切ったわけではないので暑いと感じたときには後ろで結ぶこともできます。首元の涼もしっかり確保できたので、結果的には私の要望が満たされた形となります。言われてみれば、過去に何度も「何でバッサリいっちゃったんだろう・・・」と後悔したことがあったなぁ、うんうん、お兄さんは正しかった!(と、完全に思い込んでいる。)

その後、妹も別のお店に出かけた


そのことを妹に話してみたところ、「あ、そういや私も髪切りたかったんだった」と言って、美容室に出かけていきました。

彼女は、私と違ってお店のムードや店員との相性などを気にするタイプなのでちょっと小洒落た、価格帯もけっして安くはないお店を選びました。彼女も私と同じく「夏だから切りたい!」更には「どうせならショートがいい!」という気持ちだったらしく、セミロングだった頭を抱えていざ店員さんに要望を伝えました。すると店員さんは「わかりました」とだけ答えて彼女の言葉通り、セミロングをバッサリ切ってショートに仕上げてくれました。

実はこのとき、妹は疑問に思ったそうです。前記の話を聞いていたので、同様に回避されないのだろうか、と。そこで彼女は店員さんに質問しました。やめたほうがいいですよと言う店員さんも居るじゃないですか、と。すると店員さんは

お客さまの要望を叶えるのが美容師の仕事ですから。何があっても『はい』と答えるのがプロです。

と答えたんだそうです。その答えに妹は大興奮&大満足、ハッピーな気分で帰路につくことができた、というわけです。店内の内装も凝っていたらしく、ナチュラルな雑貨屋さんといった雰囲気でとってもほくほくしていました。これもまた、妹の要望は満たされたという形になります。

同じ要望に対する、全く違う答え


妹の話を聞いたとき、私は素直に「なるほどね〜」と思いました。私も妹も、同じ「髪をバッサリ切りたい!」という要望を持ち、その欲求を満たさんとそれぞれ別のお店に行きました。しかし結果として別々の「答え」が出た上に、互いが互いにその答えに納得し、結果として互いの要望が「満たされている」という現実。これにはきっと、各個人の持つ「価値基準」が関わっているに違いない。そう感じた一件でした。

おそらく、私の行ったお店はいわゆる「薄利多売」タイプ。売上のためには、お客さんの「数」をこなさなきゃいけない。よってその分、時間の制約が生まれるため、なるべく早く終る方法、クレームになりにくい方法(戻りの少ない無難な方法)、店員さんの気乗りするカットしやすい方法を提示しなくちゃいけないのではないかと。その分料金は抑えられるし、財布には優しいわけです。

一方で妹の行ったお店は、きっと有意義な時間や空間を提供することが目的なのでしょう。顧客満足度を最優先に捉えているので、お客さんから言われた通りに「はい」と答えて、時間を気にすることなく(※前者に比べて、という意味です。)カットすることができるのではないかと。ちょっとリッチな料金でとってもハッピーな気分になれるというわけです。

他のものに目を向けて考えてみる


私も妹もそれぞれの「基準」を持ってお札を握りしめ、それに見合った「対価」を得られたと満足して料金を支払いました。当たり前ですが、それぞれの「基準」にマッチしたお店を選べば「こんな筈じゃなかった」と嘆くこともありませんし「クレーム」にもならないハズです。

しかし、現実はどうでしょう。どうやら世の中は「クレーム」とやらで溢れているように思います。こと「自分の知らない領域」については、特にこの傾向が強くなっているのではないでしょうか。

「基準」と「対価」のバランスを全く考慮せず、全てのものを「万能」だと思い込む。


iTunesストアが好例です。フリー・無料をうたったアプリ・ツールであるにも関わらず「まじむり」「使えない」などの抽象的な批判の言葉が目立ちます。ちょっと考えれば「タダなんだから、これくらいよね。我慢しよ」とか「ん〜、やっぱり物足りないからお金払ってこっちのアプリ使おう」とかそういう答えに辿り着きそうなところを、敢えて、です。

その品物の相場や実態を知らないが為、リテラシーの低さがゆえのクレームもあります。店員の売上ノルマのため、口車に乗せられたなんて例は仕方ないにせよ、「こんなの知らないわよ!」「こんなに使えないなんて思ってなかったよ!」っていうのは、クレームの次元が違いすぎて対応に困ってしまいます。制作する側だって、はなっからそういうことを考慮して作っているわけではないんですから。

絶対にそのクレーマーの前じゃ(口が裂けても)言わないけれど、「だったらもっとお金ください」って答えが返ってくると思います。制作する人だって、ごはんを食べなきゃ生きていけません。お金を貰って、プロとして生活しているわけですから、自分の技術を安売りするなんて、絶対にしたくありません。

まとめ

だらだらとここまで書いてしまいましたが、要するに何が言いたいのかというと

何かを選ぶときには必ず「基準」と「対価」を考慮すべきということ。


「安さ」のウラには必ず何かが潜んでいますし、「タダ」なんて言葉には、もっともっと注意が必要です。今買おうとしているモノは本当に、自分にとって価値のあるものなのか否かそれに見合った「対価」は得られるのか否か。

ちょっとだけ、そういったことに意識を向けて生活してみると、案外色々なものが、この「基準」と「対価」に即しているのだということに気付くきっかけになるかもしれません。